【施設代表者】(インタビュー記事転載)2001年3月の東京女子医大事件

施設代表者ML 各位

 

いつもお世話になります。

三重県臨床工学技士会の中村です。

m3.comに以下の記事が掲載されておりましたので、ご興味のある方は御一読ください。

 

以下、記事転載

 

医師が逮捕、きっかけは大学が作成した医療事故報告書-佐藤一樹・いつき会ハートクリニック理事長・院長

◆Vol.1大学病院の強すぎる権威勾配があったことも要因か

スペシャル企画 2022年1月9日 (日)配信

聞き手・まとめ:高橋直純(m3.com編集部)、橋本佳子(m3.com編集長)

 

 

メディアでも活躍する15年目の外科医、中山祐次郎氏が医療界内外の「憧れの人」に会いに行く対談企画「一介の外科医、憧れの人に会いに行く」。第31弾はいつき会ハートクリニック理事長・院長で、業務上過失致死罪で逮捕・起訴された経験を持つ佐藤一樹氏にご登場いただきました。医療事故が起きた背景、刑事事件になるとどのような取り調べ、裁判があるか、そして現在の活動についてお聞きしました(2021年10月21日に対談。全4回の連載)。

 

中山:外科医をやっていると、常にどこかで訴えられたり、刑事事件の対象になったりする恐怖を抱えている人は少なくないと思います。今日は佐藤先生の逮捕の経験やその後の活動についてお伺いしたいと思って参りました。最初に私や私より若い世代だと佐藤先生の事件をほとんど知らないと思います。当時の状況をお聞かせいただけますでしょうか。

 

東京女子医大事件とは

 

2001年3月、女子医大の日本心臓血圧研究所(心研、現在は心臓病センター)で当時12歳の患者が心房中隔欠損症と肺動脈狭窄症の治療目的で手術を受けたものの、脱血不良で脳障害を来し、術後3日目に死亡した医療事故(『東京女子医大事件◆佐藤医師インタビュー』などを参照)。

 

人工心肺装置の操作ミスが原因であるとされ、操作を担当していた佐藤氏が業務上過失致死罪で、また医療事故を隠すためにカルテ等を改ざんしたとして講師だった執刀医(実際には第一助手として指導)が証拠隠滅罪で、2002年6月に逮捕、翌7月に起訴された。元講師に対しては、2004年3月22日に懲役1年執行猶予3年の有罪判決が出ていた(控訴はなく確定)。

 

佐藤氏の起訴事実は、「人工心肺装置の吸引ポンプを高回転で回したことにより脱血不良を来し、その結果、脳循環不全が生じ、重度の脳障害で死亡した」というもの。

 

一審判決では、水滴等の付着による回路内のガスフィルター(薬事法上適応外のフィルター。しかもデスポーザブルのものがリユースされていた)の閉塞が脱血不良の原因であるとしたが、その機序は予見できなかった(予見可能性の否定)とし、佐藤氏に過失はないとされ、無罪とした。

 

控訴審判決でも無罪だが、その理由は一審判決とは異なった。上大静脈の脱血不良は、ガスフィルターの閉塞が主な原因ではなく、「脱血カニューレの位置不良」であり、それが原因で循環不全が起こり、頭部がうっ血し、致命的な脳障害が起きたとされた。この「脱血カニューレの位置不良」は、人工心肺装置を操作していた佐藤氏の行為に起因するものではなく、その責任は執刀医にあるとされた。

 

刑事事件における過失は、簡単に言えば、死亡原因と医師等の行為との間に因果関係が存在するか、因果関係がある場合に予見が可能であったか、という論理で判断される。控訴審判決では、予見可能性を議論する以前に、患者の死亡と佐藤氏の行為に因果関係がない、とされたのである。

 

一審では、佐藤氏と元講師の公判は最初は一緒に行われ、途中から分離した経緯がある。元講師の判決は、佐藤氏の一審判決よりも約1年半早く言い渡されている。

 

佐藤:東京女子医大で当時、小児心臓外科医をしていました。2001年3月に問題となった手術が行われ、2002年6月に業務上過失致死容疑で逮捕されました。

 

前提をお話しすると、僕の入局した当時の女子医大は、心臓に関しては日本で一番手術数も多く、まさに移植前夜という熱気もあり、女子医大の先生達もメディアにたくさん出ていました。胸部外科、心臓血管外科の学会では、女子医大と国立循環器病センターの先生が活躍していました。僕が医局に入ったときも、40人が試験を受けて、16人が同期として入局しました。だから日本中に女子医大の関連病院がありました。

 

中山:一学年で16人。すごいですね。

 

佐藤:僕は小児心臓外科専門の医局にいました。それまでは小児の手術では、胸骨を全切開して、大きく開胸してやるのがクラシカルな手術でしたけど、その頃から「MICS」(Minimally Invasive Cardiac Surgery)と呼ばれる一部しか胸骨を切らずに手術をやるという低侵襲手術が出てきました。ただ、術野が非常に狭いです。

 

 

中山:非常に視野の悪い手術。

 

佐藤:そうです。視野が狭くて、心臓手術するにも心臓をあっちに引っ張って、こっちに引っ張って、やっと操作ができる。下の方から見ても上行大動脈や上大静脈や肺動脈は全然見えないから、心臓を引っ張ってそこにカニュレーションするとか。拳一つ入るか入らないかぐらいの術野でやるという手術でした。

 

患者さんは心房中隔欠損症と肺動脈狭窄があり、放っておくと右室圧が上がってきたりするので良くない状態でした。本当だったら小学校に上がる前ぐらいに手術したいところですが、ご家族が医療関係者で逆にいろんな情報を仕入れていたようで、ご家族自身がしばらくは様子を見ると判断されていました。

 

女子医大を幼少期に受診して、年に1回は小児心臓手術が分かる医者に診せてくださいという話になっていましたが、しばらく専門医の診察を受けていなかったのです。ご家族の判断で中学校に上がる前に手術したほうがいいとなって、改めて女子医大に来たら「これは大変だ、早く手術したほうがいい」という状況でした。

 

中山:時機をちょっと逸していたのですね。

 

佐藤:それ自体はそんなに問題にはなりませんでしたが、時機はやや遅かったです。手技としては肺動脈弁の箇所で、視野が悪く手術が大変です。担当の講師の先生は、かなり気難しい先生で、出張病院に行っては帰される、それが2回もあるという人でした。

 

中山:2回もですか。

 

佐藤:その先生は、スタンダードでない手術をすごくやりたがる上に、手術中にものすごく怒っちゃって、過緊張状態でもうみんな手がすくんでしまうこともありました。チームとしてやっていく適性があるような人ではなかったです。僕は研究で少し手伝いをしていたこともあって、何とか一緒にやっていました。

 

講師による患者家族への手術前の説明が前日の夜8時過ぎでしたが、双方ともに結構気が強くて、けんかのような状況でした。

 

中山:手術説明でけんかになった。ひどい話ですね。

 

佐藤:もう手術はやめにしようみたいな感じのところまで行ってしまいました。親御さんもそれでは困るからということで謝りましたが。患者家族との関係は最悪の状態でした。

 

中山:手技としては難しい症例だったのですか。

 

佐藤:当時は一般の大学の医局では初めて心房中隔欠損症の手術をするのは大体3年目ぐらいでしたが、女子医大では、医者になって半年でその手術をさせられました。だから心房中隔欠損症の手術だけだったら、普通は簡単にできます。

 

だけど、その症例は心房中隔欠損症以外に肺動脈狭窄もありました。肺動脈狭窄の形成、しかも肺動脈の弁尖を心膜に置換するという手技は研修医にとってはすごく難しいです。特に時間も経っていて、右心室の流出路の筋肉も発達していて、その部分の形成というのはさらに難しい。

 

メインの執刀医は4年目で、講師の先生が前立ちでした。ただ、執刀医は小児の手術を一回もやったことがなかったのです。しかも、肺動脈形成も初めて、「MICS」の手術も初めて、その講師の前立ちでの手術も初めてでした。初めて尽くめで、普通だったらあり得ないですが、講師の先生は彼を見込んでいたので、やらせました。

 

加えて、なんかあったら代わってもらうということで、僕の同期の10年目の医師も助手として術者の左側につきました。

 

心臓手術では最初に人工心肺を付けます。胸骨全切開の通常の上大静脈のカニュレーションでは、上大静脈を出して直接直角に曲がったカニューレを入れていたんです。ただ、「MICS」の場合はなかなか届かないし、視野も悪いから、右心耳を引っ張って右心耳の先端を切って、そこからストレートのカニューレを下の方からまっすぐに上大静脈に向かって、入れていました。

 

心臓外科の黎明期から今でもそうやっているところがあり、だから何も上大静脈に直接カニュレーションする必要はないのですが、その講師は「上大静脈に直接カニュレーションしなきゃいけない」とこだわっていました。

 

心耳から入れるときは、ストレートの物をまっすぐ入れればそのまま上大静脈に入りますが、MICSで直接カニュレーションすると直角に曲がっているカニューレを狭い視野の中で入れる必要があって、とても困難です。

 

以前にも、その講師の前立ちで僕が術者でMICSをしたときに「こんなの先生入るわけないよ、他の講師や私が出張した他の病院では右心耳から入れてましたよ」と指摘して、手術の時にけんかになったことがあります。でも、「俺はそういう方針なんだ」と言われてしょうがないから言われた通りにやることもありました。

 

カニュレーションすると、心臓や肺に回っていた血流が人工心肺に落ちてきます。そうなると、最初に貯血槽の充填液が溜まっていたところに、心臓内や発達した肺血管床の分の血液が入ってきて、液面が上に上がってくる。それでカニュレーションがうまく行っていると分かるんです。

 

事件が起きた手術では、僕は人工心肺を回す立場でした。当時の女子医大では医者が回していて、僕も100例以上の経験があり人工心肺管理を後輩たちに指導もしていました。(12歳患者の手術では、人工心肺装置に)返ってくる血液の量がすごく少なくて、これは絶対うまく入っていないと思って、指摘しました。手術記録の人工心肺チャートを見ると5分ぐらい、人工心肺担当者と術野の医師らが手を止めて脱血管の確認作業を行うやり取りをしています。

 

カニュレーションできているかを指を入れて確認することもありますが、今回はMICSですから上大静脈のカニューレの先端には、確認のための親指と人さし指は同時には届かない狭さです。カニュレーションがしっかりできていないと奇静脈にカニューレの先端が向かって、上大静脈のほうから上手く脱血できず、頭部からの灌流が悪くなるので良くないというのは心臓外科の教科書やピットフォールの専門書にも書かれています。でも講師の先生はできていると主張しました。カニュレーションができていない場合以外にも、例えば患者さんが手術の前の日から水分を取っていないとか食事できていない場合にも、脱血が返ってこないときもあるので、術野で間違いないというなら、そうかなと。

 

それで、脱血が悪いときに使う「吸引脱血」を行いました。手術台と人工心肺の設置場所の落差による脱血が「落差脱血」ですが、静脈のリザーバーを密閉して陰圧をかけて、脱血を良くするのが「吸引脱血」です。

 

中山:聞くだけでも大変な状況ですね。

 

佐藤:手術は最初から4年目の執刀医が講師の先生に怒られてばかりで、ものすごい時間がかかっていました。肺動脈の形成で、心膜を肺動脈弁輪に縫合する手技では手が動かなくて、一時的に僕の同期が代わったこともありました。よく見えない肺動脈を術野に引っ張り出すことになると、心臓を引っ張って動かす度に脱血の位置が変わったりします。そんな感じで、手術はずっと低空飛行でした。

 

それで、さらに専門的な話になってしまいますが、脱血が悪くなったときに、「吸引回し」というやり方があります。

 

中山:吸引回し。

 

佐藤:上大静脈と下大静脈にカニュレーションして右心房を切開するときは、ターニケットできゅっと両方の大静脈とカニューレを締めて血液が心房内に漏れないようにします。そうしないと、右心房の中に血液が入ってきて視野が血まみれになってしまいます。脱血が悪いときはそこをぱっと切り離して、静脈のカニューレから脱血できない分を右心房に血液が入ってくるようにして、吸引ポンプで回して貯血槽に回収していました。

 

私が人工心肺のポンプの回転数を100回転に上げたことが起訴事実に入っていますが、1つのポンプで回すと1回転13mLとなりますが、患者の体重は35キロだったので、2つの吸引ポンプで100回転するとその子にちょうどいい脱血量が返ってくるようにしました。

 

吸引回しをしていれば、たとえカニュレーションした脱血管から脱血できない状態でも、隙間から血液が返ってきて、吸引ポンプで回せば人工心肺が成立します。ただ、そうすると(血液が)ばーっと右心房に入ってきていて、ものすごく視野が悪くなるわけです。

 

術野からは「吸引をもっと上げろ」と言われていたので、もっと回転数を上げている時もありました。溶血もひどくなるのであんまり良くないのですが、術野がそれで視野が得られないならやるしかないと。

 

加えて、また別な問題として、脱血がものすごく悪くなったんです。それは何かというと、レギュレーターといって圧力を調整する機械の調子が悪くなったのです。レギュレーターと脱血槽の間にフィルターが入っていますが、それが別の用途で使用していた「エアフィルター」でした。だけど、本当は「吸引フィルター」を装着するのが正しくて、エアフィルターだと水分が来ると閉塞してしまいます。心臓の手術ですから室温もすごく下げていて、陰圧にもなっているので、水蒸気が水滴になって、エアフィルターに引っ掛かって、閉塞していました。

 

そういったトラブルもあって、麻酔科の先生が患者さんを見ると、顔面が腫れていて、アニソコリア(瞳孔不同)で、脳障害が起きたと分かりました。普通だったら40分ぐらいで終わるところが、2時間ぐらい心臓を止めている時間がありました。そんな長時間で吸引法をやったのは女子医大の回路ではおそらく初めてで、しかも適用外のフィルターだった上に、本来はディスポなのに使い回ししていました。

 

中山:いろんな要因が絡み合っているのですね。事故調査委員会では、どのように判断されたのでしょうか。

 

佐藤:(事故から半年後の2001年10月にまとめられた)女子医大の報告書では、吸引ポンプの回転数を上げると、リザーバーが陽圧して空気が逆流したとなっています。報告書がその後、メディアに出たときに意味もなく回転数を上げたから、それが陽圧化してそれで患者さんに障害が起きたとして、僕が悪いことになっていました。聞き取りに対しては、吸引回しをするために吸引ポンプの回転数を上げたと証言したのですが。

 

僕たち医局員は一人を除き全員が、女子医大の報告書はおかしいと言っていました。唯一、「報告書を否定しては駄目だ」と言ったのが、事故後に新しく心研に来た教授でした。

 

事故が起きたときは、小児外科の教授は、世界的にもカリスマ術者だった今井康晴先生で、世界中から手術を見に来るような先生でした。成人外科で移植を進めていたのが小柳仁先生で、この二大巨頭で女子医大の心臓外科は成り立っていました。

 

2人が同い年で同じ月生まれで、一緒に退官ということになりました。当時の女子医大が心臓外科にお金をかけていたのは間違いないですが、小児はどれだけ頑張っても赤字になる構造です。それは世界中の小児病院が抱えている問題で、米国のボストン小児病院も、宝くじを発行してそのお金で補填したりしているぐらいです。

 

女子医大としては、小児心臓外科と心臓血管外科があって小児を切りたがっていました。それで、2人の教授退官に合わせて、教授が1人になりました。その教授の前任は慈恵医大の教授でしたが、さらにその前は女子医大の助教授でした。その先生が戻ってきたのですが、「あの報告書は確かに間違っているかもしれないが、女子医大が特定機能病院を外されるかどうかという瀬戸際なんで、それを否定してはならん」と。

 

医局員と教授が対立する感じになってしまいましたが、そうは言っても教授は絶対です。私をアシストしてくれた講師の先生(逮捕された講師とは別な先生)には「おまえは警察に目を付けられているんだからな」とその教授からプレッシャーもかかるようになって、だんだん僕が医局内で孤立化するようになって、逮捕されました。

 

中山:しかし、先生の手術の当日のお話を伺うと、大学病院における明らかに強すぎる権威勾配があったことも要因だったのだと感じます。

 

佐藤:そう。事故が起きそうな条件が揃っていました。

 

中山:(4年目の)執刀医の先生もちょっとかわいそうですね。

 

佐藤:どういう訳か知らないけど、講師の先生が見込んでいたので。

 

中山:大学病院では働いた経験がないのですが、佐藤先生みたいに上司にがんがん言える人は少ないですよね。

 

佐藤:だから、その講師の先生と会話できるのは唯一僕ぐらいだったんです。だからよく手術助手や人工心肺担当医に指名されていました。みんなに避けられていたので、僕は強制的にその先生のカバー役にもなっていました。表面上は仲良くしていたし、手術手技などについて言いたいことがあるときは言っていました。でも言い合いになっても、向こうのほうが10年ぐらい上ですから上下関係は厳然とあります。

 

中山:当時の女子医大が作成した、医学的に間違った報告書が逮捕につながったのですね。

 

佐藤:そうです。しかも、吸引脱血という方法自体を否定することにもなっていたので、その方法を一生懸命、研究していた東大、慶應、埼玉医大の先生たちが報告書の内容を調査してくれました。女子医大のようにエアフィルターを入れた状況だと、フィルターが閉塞して逆流が起きるということが実験で再現できました。

 

吸引ポンプの回転数を上げたことが問題ではなくて、エアフィルターを入れていたこと自体がいけないとなりました。そもそもディスポなのに、繰り返し使っており、吸引フィルターであるべきところがエアフィルターだったことが問題と学会が報告書を作ったんです。報告書は2003年5月に「3学会合同陰圧吸引補助脱血体外循環検討委員会報告書」(日本心臓血管外科学会、日本胸部外科学会、日本人工臓器学会)として公表されました。

 

警察・検察としては、その報告書があると、有罪の主張が完全に打ち破かれてしまいます。民事裁判と違って刑事裁判というのは面白くて、検察側、被告側双方が出した証拠について、相手側が認めないと「不同意」となったといって、裁判官が見ることができなくなるシステムです。だから僕たちは女子医大の報告書を不同意にしていたし、検察側は3学会の報告書を不同意にしました。

 

書証が不同意になると、その書類を作成した人を法廷に呼んで、裁判官が直接、尋問することになります。ほとんどの書類が不同意になったのでたくさんの人が法廷で証言しました。カルテの改ざんがあったり、術野の人もカニュレーションが悪かった負い目があったりしたからか、法廷ででたらめな嘘をつく人もいました。自分の立場をどうにか保身しようとうごめいていたことを実感しました。

 

その中でも、僕は自分が学術的に正しいことを主張すれば勝てると思っていました。

 

佐藤一樹氏

医療法人社団いつき会ハートクリニック理事長・院長

1991年山梨医大卒、東京女子医科大学日本心臓血圧研究所循環器小児外科入局。1999年同科助手、2002年千葉県こども病院心臓血管外科医長、同年綾瀬循環器病院勤務。2009年綾瀬ハートクリニックを開設。2011年法人化、いつき会ハートクリニックに名称変更。2014年度厚生労働省科学研究費「診療行為に関連した死亡の調査の手法に関する研究」班員。

中山祐次郎

1980年生。聖光学院高等学校を卒業後、2浪を経て、鹿児島大学医学部卒。都立駒込病院で研修後、同院大腸外科医師(非常勤)として10年勤務。2017年2月には福島県の高野病院院長を務め、現在は神奈川県茅ヶ崎市の湘南東部総合病院で手術の日々を送る。2020年に京都大学School of Public Healthを卒業、優秀賞を受賞し公衆衛生学修士を取得。資格は消化器外科専門医、内視鏡外科技術認定医(大腸)、外科専門医など。モットーは「いつ死んでも後悔するように生きる」。著書は『幸せな死のために一刻も早くあなたにお伝えしたいこと-若き外科医が見つめた「いのち」の現場三百六十五日』『医者の本音』『がん外科医の本音』『泣くな研修医』『逃げるな新人外科医』『それでも君は医者になるのか』。2017年に「発信する医師団」を立ち上げ、精力的に医療情報を発信している。連載はヤフーニュース個人、日経ビジネスオンライン、ハフポストなど。